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妖刀「村正」伝説は徳川家による歴史改ざんの産物だった!?

鬼滅の戦史126

 

■三河武士が愛用してきた村正は、なぜ妖刀になったのか?

 

 村正は、伊勢国桑名の刀工・千子村正(せんごむらまさ)の作とされる名刀であるが、名跡は代々受け継がれ、少なくとも6代もの刀工が同名を名乗って刀を鍛造し続けたと見られている。桑名は三河地方からほど近いため、三河武士たちにも愛用されていた。それが、なぜ妖刀として恐れられるようになってしまったのか?

 

 徳川氏に関する歴史書『三河後風土記』によれば、呪いの皮切りは、家康の祖父・清康が、家臣の阿部正豊によって斬り殺されたこと。このとき正豊が手にしていたのが、村正だったのだという

 

 しかしこの『三河後風土記』なる書、当時は権威ある歴史書であったものの、今では信ぴょう性が疑問視されている。清康殺害の件にしても、よくよく考えてみれば、この頃の三河武士には村正を所持していた者も少なくなかった。清康が村正によって斬られたとしても、特段驚くべきことではない。

 

 じつは、家康が長男・信康に切腹を命じた際、介錯に使われたのも村正だったとされている。そのため、家康が肉親を切腹させたという汚点を覆い隠すために、村正の祟りのせいにしてしまったと見なす向きもあるようだ。

 

 家康の父・広忠が家臣・八弥(はちや)に刺された時に手にしていた脇差も、家康自身が手にして怪我をした槍も村正だったというから、つくづく徳川家は、村正と縁が深かったようである。ただしもちろん、それらが本当に村正だったのかどうかは異論も多く定かではない。妖刀伝説だけが一人歩きしているというべきか。

 

 なお、徳川家に祟りをなすと言い伝えられた村正は、のちに反幕府の象徴として捉えられたようである。幕府転覆を目論んでいた由井正雪、さらに幕末には西郷隆盛などの倒幕派の志士たちが村正を縁起物として珍重し、競って求めたという。村正は、武士にとって妖刀にも縁起物にもなる、実に謎めいた名刀なのである。

 

※画像…豊原国周『〔籠釣瓶花街酔醒〕』,福田熊次郎,明治21. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1301844 (参照 2023-05-02)。歴史人編集部にて結合・トリミング加工。

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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